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【VENONA】 米国家安全保障局による「VENONA」論考 【NSA】

米国国家安全保障局ホームページより
http://www.nsa.gov/about/_files/cryptologic_heritage/publications/
coldwar/venona_story.pdf


The Venona Story
Robert L. Benson

「VENONA」解読結果は、そこで言及、特定、明示される個人のプライバシー保護を十分に考慮したうえで開示されている。プライバシーの侵害を引き起こす可能性のある個人名については伏せている場合がある。

はじめに

1943年2月1日、国家安全保障局の前身である米陸軍通信情報部は、後に「VENONA」という符牒で知られる小規模なプログラムを極秘裏に開始した。「VENONA」プログラム本来の目的は、暗号化されたソ連の外交通信を検証精査し、利用しようとしたものである。ソ連の暗号外交通信は1939年より米陸軍通信情報部(後に米陸軍通信傍受部と改称、バージニア州に位置する本部施設の名称から「アーリントンホール」と呼称される)にて集積された。この時期まで、ソ連の暗号外交通信が調査対象となることはなかった。米国の調査分析によって、これらの暗号通信が外交だけでなく、諜報工作に関わる案件にも言及していることが明らかになった。

「VENONA」解読とその関係文書について六回の情報公開が実施されている。これらの公開情報は以下の主題について言及しており、本論考でもその全てについて取り上げる。

1. 原子爆弾に対するソ連の諜報工作活動
2. 1942年、43年当時のニューヨークKGBによる伝文
3. 1944年、45年当時のニューヨークKGB、ワシントンKGBによる伝文
4. サンフランシスコKGBとメキシコシティKGBによる伝文、ニューヨークGRUとワシントンGRUによる伝文、ワシントンGRU(海)による伝文
5. 欧州、南米、オールトラリアからのKGB伝文とGRU伝文
6. 先行する5件の解読結果開示から漏れた伝文。および公開時、プライバシーに対する配慮から秘匿された個人名の開示修正。

日本による真珠湾攻撃の後、通信情報部は何十人もの語学講師や言語学の専門家を米国中から採用した。ほんの2,3週間前までは学校教師であったGene Grabeelが通信情報部職員として1943年の2月1日にプロジェクトを開始した。Akron大学の語学講師であり、多数の言語に精通していたMeredith Gardnerは通信情報部に採用され、第二次大戦下の日独関係について調査し、その功績は高く評価されていた。大戦終結に伴い、Gardnerは「VENONA」プロジェクトに参加し、続く27年間従事することになる。彼は「VENNONA」計画における筆頭解読者および分析者として、1947年から48年の間に11件の特別報告をまとめることになる。

「VENONA」計画で集積された伝文はモスクワ-海外拠点間で送受信されたもので、総数は何千件にも及び未整理なままであった。アーリントンホールの分析官にとって最初の数ヶ月間は、外交任務や暗号方式、投稿者別などで大量の伝文を分類する作業に費やされた。

初期の調査で、モスクワと海外拠点間で使用される暗号方式が5種類存在することが分かり、その後には発信者によって使用する暗号方式が異なることが判明した。中でも一つの暗号方式は貿易案件、とりわけ軍需物資貸与に関わるものであった。他の4つの暗号方式はモスクワのソ連外務省と海外拠点(大使館など)との通信内容であった。

更なる調査で5つの暗号方式それぞれの発信者が下記のように特定された(伝文集積量の多いものから降順に表記)。

1. ソ連通商代表部 - 軍需物資貸与関連、AMTORG、およびソ連購買委員会
2. 外交官 - ソ連大使館や領事館の業務遂行について
3. KGB - ソ連諜報工作機関、モスクワ本部と海外拠点
4. GRU - ソ連陸軍情報総局と海外工作員
5. GRU(海) - ソ連海軍情報局職員

「VENONA」解読成果の公開

「VENONA」解読成果が最初に公開されたのは1995年7月で、これによって未検証のまま放置されてきた米国内におけるソ連諜報活動の工作範囲や浸透度について、客観的に評価する視点が与えられた。この第一回目の公開で開示された内容はローゼンベルク(Rosenberg)夫婦とマンハッタン計画に関するもので、公開された文書数は49件であった。

二回目の公開では、1942年から1943年間のKGBニューヨーク支局とモスクワ本部との通信内容が開示された。

三回目の公開では、一回目、二回目より多い500件以上の解読成果が開示された。その内容はニューヨークとワシントンにあるKGB支局とモスクワ本部との間で交わされたものである(1995年7月に公開された原子爆弾関連の伝文は除く)。

四回目の公開はより広範囲で、開示された解読成果は850件に及び、サンフランシスコとメキシコシティのKGB支局、ならびにニューヨークとワシントンのGRU支局の通信内容を含む。ソ連が北米地域(米国とメキシコ)で展開した諜報工作活動に関する解読成果は、この四回目の公開をもって全て開示された。

五回目の公開では欧州、中南米、オーストラリアで展開するKGB、GRU、GRU(海)の送受信内容に加え、諜報機関以外のソ連外務省、商務省の伝文も開示された。大部分はソ連情報機関が関与するものである。「VENONA」解読成果の公開としては最後で、公開件数も最大の1000件以上である。

六回目の公開ではこれまでの公開で漏れてしまった解読成果が開示された。また、プライバシーに対する配慮から公開時には伏せられていた氏名の開示なども含む。

これらの公開文書は国立暗号博物館付属図書館などで閲覧できる。またインターネット上や連邦議会図書館、米国公文書館、大学図書館などで広く利用できる。学者やメディア、一般人が約3000件の「VENONA」解読成果を共有することとなった。

英国政府通信本部(GCHQ)は、1934年から1937年にモスクワと様々な第三国の首都の間で交わされた何千件にも及ぶコミンテルン機密通信 - 英国呼称: 「MASK」伝文 - を英国公文書館で公開している。これらの内容から、様々な国の共産党(米国共産党含む)がモスクワによってコントロールされていた詳細が良く理解できる。GCHQは「ISCOT」伝文についても公開している。「ISCOT」とは1943年から1945年における中国やドイツ占領下のヨーロッパに散在するコミンテルン支局とモスクワ間の機密無線を傍受解読した作戦のコードネームである。米国国立暗号博物館付属図書館は英国GCHQによる「MASK」と「ISCOT」双方の開示内容を完全な形で保管している。

「VENONA」計画の終了

一定量の資料に対してなぜ1943年から1980年もの長期間にわたる「VENONA」計画がNSAによって継続されたか、とよく疑問を呈されることがある。理由はNSAのパートナーであるFBI、CIA、英国当局や同盟国の諸機関が希望したからである。捜査上の手がかりがまだ発見される可能性や特定不能であった偽名が特定されうる可能性があったからである。1977年、NSA内で存続していた「VENONA」グループの責任者代理William P. Crowell*が「VENONA」を2年以内に終了させることを決定した。NSAの「VENONA」グループはNSAのパートナーと、「VENONA」文書中から新たに手がかりが発見される可能性について検証評価し、1978年に「VENONA」計画終了日を1980年10月1日と定めた。

1978年9月、CIA防諜室々長David BleeはNSA、FBIはじめ関係諸機関の代表者を招集した。「VENONA」から今後2年間に得られる情報の有無について検証するための委員会を組織するためである。NSAの代表者は後に「VENONA」班責任者となるHoward W. (Bill) KulpとMildred Hayesであった。「VENONA」計画最終期(1978年-1980年)においてNSAが発行した解読成果はKGBとGRU関連が39件、その他が8件である。これの中には防諜対策研究の目的では非常に重要なものも何件か存在した。1980年1月、Bill Kulpは「VENONA」計画の展望について、技術的視点と防諜対策としての視点から再度見積もりを開始した。書き上げた報告は「予定通りの期限で終了」というものであった。理由は「情報資料としての経年劣化」、「調査実行や付随事項の裏取りが困難であること」、そして「最重要事項は隅々まで分析されつくしていること」である。にもかかわらず、NSAの分析専門官、Mildred Hayes、 Angela Nanni、Janice Cramの三人は計画終了の間際まで分析を継続した。

Venona年表

1943年2月1日
Gene Grabeelがアーリントンホールで「VENONA」解読を開始する。

1943年11月
Richard Hallock中尉がソ連外交暗号解読の最初の突破口を開く。この突破口がFrank Lewisによって更に拡大される。

1943年全般
「VENONA」計画の拡充。F. Coudert大尉、William B.S. Smith少佐が担当。

1944年11月
Cecil Phillips、Genevieve Feinstein、Lucille CampbellらによってKGB暗号解読の可能性が高まる。

1945年
Gouzenkoが亡命。Elizabeth BentleyとWhittaker Chambersの2名が米国内におけるソ連の諜報工作をFBIに証言する。

1945年5月
米軍情報関係部署がドイツのサクソニーとシュレスヴィヒでソ連の符号表を入手。

1946年7月~12月
Meredith GardnerがKGBの符号表を分析的手法に基づき、読解/再構成する。それによって僅かではあるが、暗号通信を解読。その内の一つは原子爆弾開発に対する情報収集であった。

1947年8月30日
Meredith Gardnerが暗号中にコードネームで登場する人物を特定し始める。

1947年9月
参謀第2部のCarter W. ClarkeがFBIのS. Wesley Reynoldsに会う。そこでClarkeがアーリントンホールで進捗するKGB暗号通信の成果をReynoldsに伝える。

1948年10月19日~20日
FBI本部 Robert J. Lamphere捜査官がMeredith Gardner(アーリントンホール)と連携を取りはじめる。多数の諜報工作事案が明らかになる。

1948年~1951年
「VENONA」の解読によって、Klaus Fuchs、Harry Gold、David Greenglass、Theodore Hall、William Perl、Rosenberg夫婦、Guy Burgess、Donald Maclean、Kim Philby、Harry D. Whiteなど、KGBの主要な工作員が特定される。

1952年~1953年
KGB初期の暗号通信の精査が完了。GRUの暗号通信の精査に取り掛かる。これより20年間の間に多数の米国潜伏工作員の詳細が明らかになる。

1953年
CIAが「VENONA」について公式に説明、対諜報活動に加わる。

1960年
英国がGRU(海)の暗号通信を精査。

1960年~1980年
今まで発表されなかった数百件に上る解読結果が関係者のみに開示される。初期の解読結果が修正再発行される。

1980年10月1日
「VENONA」計画終了。

「VENONA」解読の進展

「VENONA」開始当初の1943年2月から、暗号通信の分析は遅々として進まず、解読は困難を極めた。1943年10月、通信部隊の予備役将校Richard Hallock中尉がソ連貿易関連通信の脆弱性を発見する。Richard Hallock予備役中尉は平時にはシカゴ大学に勤務する考古学者であった。Richard Hallock予備役中尉の発見した脆弱性は他の4種の暗号方式を分析する上で大いに参考になった。

1944年中には、他の暗号分析官もソ連貿易通信を専門的かつ技術的に検証した結果、他の暗号方式についても解読の可能性が浮上してきた。この時参加した暗号分析官Cecil Phillipsの分析によって、KGB暗号方式の根幹部分が突破された。しかし、その当時においてはソ連のどの部署がその暗号方式を使用しているのかは特定されていなかった。暗号方式の根幹部分が判明したとしても、通信の本文は二重に暗号化され、判読は極めて困難であった。アーリントンホールにおける暗号解析上の目覚しい成果を踏まえても、KGB暗号通信の部分的読取や、発信者(KGB)の特定に更に2年の歳月を要した。

1945年、「VENONA」に係わる防諜事案が局所的に3件発生する。まず、1930年代の米国内におけるソ連諜報工作の詳細を証言したにも拘らず、捜査機関にその証言をほぼ無視されていたWhittaker Chambersについて再度、FBIが慎重に尋問を開始したのである。「VENONA」には直接的影響はなかったが、Chambersの証言によってFBIがソ連諜報工作を警戒するようになった。次に、経験豊富なKGB工作員であり、ソ連工作員の米国内世話人でもあったElizabeth BentleyがFBIに、政府機密文書をソ連に横流しした米国政府職員達の氏名を明言した。Bentleyの証言の多くは「VENONA」解読で正しかったことが証明されている。最後は、GRU暗号書記官Igor Gouzenkoがオタワで亡命したことである。Gouzenkoのもたらした情報は連合国防諜諸機関にとって重要なものであったが、「VENONA」解読に直接影響するものではなかった。

1946年夏、Meredith GardnerがKGBニューヨーク支局とKGBモスクワ本部との間で交わされた暗号通信の分析を開始した。1946年7月31日、GardnerはKGBニューヨーク支局よりKGBモスクワ本部へ発信された電文(1944年8月10日付)から判読可能な文節を抽出した。後の分析によって、この電文はラテンアメリカ地域におけるKGBの極秘活動について言及したものであることが判明した。1946年12月13日、Gardnerは1944年の米国大統領選挙キャンペーンに対する議論をKGB暗号通信から読み取った。1週間後の12月20日には、2年前にKGBモスクワ本部へ発信された暗号通信を突破した。その暗号通信には著名な科学者の名簿が含まれていた。マンハッタン計画-原子力爆弾開発に携わる科学者の名簿である。

1947年の4月下旬もしくは5月初旬には1944年12月発信の電文から、当時の米国陸軍省参謀本部の関係者によって機密情報がソ連へ漏洩していた事実がGardnerの分析によって判明する。

米陸軍情報部ならびに参謀第2部はアーリントンホールで明らかになる情報に危機感を募らせた。1947年7月22日付でアーリントンホールが作成した報告書では最大で数百名に及ぶであろうコードネームを含む暗号通信が開示されていた。そこでは、ANTENNAやLEBERAL(後にJulius Rosenbergであると判明)などというコードネームでKGB掌握下にある多数の工作員が含まれていた。ある通信では「LIBERALの妻は"Ethel"である」と言及されていた。

1947年8月下旬もしくは9月初旬、参謀第2部副部長Carter W. Clarke大将はアーリントンホール/参謀第2部とFBIの連絡係であったS. Wesley Reynoldsに「米陸軍がソ連暗号通信に侵入、解読に成功しつつある」と慎重に配慮しつつ伝えた。これより翌年にかけて、Wes Reynoldsは多数の「VENONA」解読結果を非公式に入手した。それらの中には手書きのメモも含まれていたと思われる。

1948年には英国が「VENONA」解読に参画する。特に英国通信情報部はフルタイムの分析官をアーリントンホールに派遣した。「VENONA」計画において、英国と米国諸機関との関係は多年にわたり良好な協力態勢を維持できた。これはRobert LamphereとMeredith Gardnerによる初期の協力関係に依存する部分が大きい。

1948年10月、Wes ReynoldsがFBI本部のRobert J. LamphereをMeredith Gardnerおよびアーリントンホール上層部と公式に引き合わせる。この時点より、LamphereがFBIを去る1955年までGardnerやその周辺と緊密に連携し、最新の「VENONA」解読結果を入手できるようになる。少なくとも1952年以前に解読されたKGBニューヨーク支局(おそらくKGBワシントン支局も含む)発信の電文(1944年-1945年間)は全てLamphereも入手していたはずである。米陸軍参謀第2部の対諜報作戦要員はこの時点ではまだ蚊帳の外であった。

コードネーム(偽名)命名の規則性

「VENONA」の通信内容は何百ものコードネーム(偽名)が記述されている(ソ連諜報将校や工作員の実名特定を避けるために使用。スパイや協力者の名前だけでなく、暗号通信中で言及される組織、地名、人名についてもすべてコードネーム<偽名>化)。諜報工作に無関係な多くの著名人もコードネームで登場する。一方、そのような無関係の公人が通信本文に実名で記述されている事例もあった。以下は「VENONA」から復元されたコードネーム対照表の一部である。

コードネーム
実名

KAPITAN
ルーズベルト大統領

ANTENNA、後にLEBERALと変更
Julius Rosenberg

BABYLON
サンフランシスコ

ARSENAL(武器庫)
米国陸軍省

THE BANK
米国国務省

ENORMOZ
マンハッタン計画/原子爆弾

ANTON
Leonid Kvasnikov、KGBニューヨーク支局原子爆弾関連工作担当

アーリントンホールとFBIはコードネームで記述された人物や場所、組織を特定するため、まずコードネームを分類検証した。コードネームは神話に由来するもの、ロシア語の単語を割り当てられたもの、魚の名前を与えられたもの等に分類できた。KAPITANというコードネームは文脈から「ルーズベルト大統領」であると容易に類推できたが、この米国大統領を指す「KAPITAN(船長)」というコードネームより、大統領の下位組織に属する工作員に与えられた「PRINCE(王子)」、「DUKE(公爵)」、「GOD(神!)」というコードネーム群の方が役割や権限において重要度が高いように思われる。その他のKGB諜報員や工作協力者には単に「BOB」、「TOM」、「JOHN」などのコードネームが与えられていた。Elizabeth Bentleyのコードネームは「GOOD GIRL」である。KGBは安直なコードネームを使用する場合もあった。たとえば、KGB工作員Boris Morosに与えられた「FROST」である。「frost」のロシア語訳は「moroz」であった。

「VENONA」解読結果には、実名が特定できていないコードネームについて脚注が付されている。一方で、他の解読結果では同じコードネームについて実名が注記されている場合もある。これは分析官が完全な改訂がない限り、解読済みの文書を後の解読結果に基づき修正しなかったことによる。例えば、「VENONA」初期の解読結果が改訂されることはなかったが、そこでは「MER」/「ALBERT」というコードネームには未特定と脚注されている。しかし、後の解読成果から、「MER」/「ALBERT」というコードネームはKGB米国不法潜入工作員の長、Iskak Akhmerovであることが判明し、以後の「VENONA」文書にはこの実名が注記されている。読者にとっては紛らわしいが、KGBは時に同じコードネームを別の人物に使用する場合もあった。これらについては文脈や地理的情報から類推把握することができた。

1946年、Meredith Gardnerは複数のKGB暗号通信を突破解読した。1947年夏から1948年半ばにかけ、Gardnerは数十通のKGB暗号通信について解読分析レポートや要約を作成した。当初からGardnerは、「『LIBERAL』および『ANTENNA』という二つのコードネームは同一人物である」と指摘していた(1944年9月にANTENNAからLIBERALへコードネーム変更: KGBニューヨーク支局発信モスクワ宛、文書番号1251、44年9月2日付)。後にGardnerはLIBERAL/ANTENNAに係わる暗号通信を全て解読するが、その時点ではこのコードネームがJulius Rosenbergに与えられたものであることは特定できていなかった。1947年、Gardnerは日々の解読作業の中で何人かのコードネームについて実名を特定した。「VENONA」文書に見られる「KOMAR」というコードネームは1944年に米国で亡命したViktor Kravchenkoであり、後にKGBによって暗殺されている。

コードネーム特定の大部分はFBIによる「VENONA」分析精査と集中的捜査によって達成された。コードネーム特定には英国情報機関も寄与している。1953年以降ではCIAの貢献度も考慮すべきである。分析と調査の結果、暗号通信の本文で実名記述された人物が他の暗号通信ではコードネーム化されていることが判明した(Theodore A. Hallの件、後に「MLAD」と記述されている)。

NSAによる「VENONA」論文で示されている通り、「ROBERT」、「DORA」、「PILOT」というコードネームが1947年時点で抽出されている。1948年11月、FBIはアーリントンホールにこれらのコードネームが、Greg Silvermasterと彼の妻、Helen Witte Silvermaster、そして同居人のLud Ullmanであることを報告した。1949年初旬、FBIは1947年の暗号通信で最初に登場する「SIMA」というコードネームがJudith Coplonであることを突き止めた。1949年夏には過去2年間の「VENONA」解読結果を踏まえ、「CHARLES」、「REST」というコードネームがKlaus Fuchsであると特定し、1950年には1947年に抽出済みの「LIBERAL」、「ANTENNA」というコードネームがRosenberg一家(夫と妻)であることを特定した。

「VENONA」解読

約3,000件の「VENONA」文書が存在する。限られた関係者にとって、1947年時点で既にここから部分的な情報を引き出すことは可能であった。1947年の後半にはこれらの文書がFBIにも開示された。そして今、「VENONA」文書は広く一般に公開される。作成日が思いのほか新しいものも存在するが、これは「高い暗号強度を持つ通信の突破 → 解読」という作業が気が遠くなるような試行錯誤を繰り返してやっと僅かな手掛かりを得られるという類の作業であり、日付の新しいものはそれだけの長期間を解読に要したということになる。新しい発見や手掛かりによって解読が進んだり、本文の示す意味内容が明らかになる度に何度も修正された文書もある。最もよく整理、解読された文書のみを公開する。

モスクワ-ニューヨーク間および、モスクワ-ワシントン間で1944年と1945年に交わされたKGB暗号通信はほぼ全て解読済みである。解読作業は1947年から1952年の間になされた。

暗号解除された文書には「解読未」と「解読不可」に分類されているものがある。「解読未」というのは、秘匿されているロシア語本文の存在は明らかなのであるが、手掛かり不足で分析官が本文を完全に拾えていないものである。「解読不可」というのは暗号方式誤用の影響を受けていないもので、その結果分析官による解読が不可能なものである。

「VENONA」文書に付与された通し番号は、KGBとGRUによってモスクワと海外拠点間で送受信された暗号通信が何千件にも及ぶことを示している。暗号分析官が解読できたのは暗号通信全体のほんの一部である。暗号通信傍受と解読は同時に進行していたのではない。1946年時点でMeredith Gardnerは1944年発信のKGB暗号通信の解読に従事していた。

アーリントンホールの「VENONA」文書解読能力には、符牒の意味内容、暗号鍵の変更、本文テキスト不足などの影響を受けてムラがあった。KGBニューヨーク支局が1944年にモスクワへ発信した電文のうち、49%が解読可能であった。1943年分では13%、1942年分では僅か1.8%のみが解読できた。KGBワシントン支局が1945年にモスクワへ発信した電文ではたった1.5%しか解読できていない。GRU(海)ワシントン支局とモスクワで1945年に送受信された電文では約50%が解読できたが、それ以外の年度で解読できた通信は皆無である。

「VENONA」にまつわる俗説と誤解

多くの書物や論説で語られている内容とは違い、アーリントンホールにおける「VENONA」文書暗号通信の解読は地道な分析の積み重ねによるものであった。分析的手法に基づき暗号突破が達成された期間(1952年終わりまで)、Richard Hallock中尉、Cecil PhillipsそしてMeredith Gardnerらの暗号解析に戦地で回収されたソ連符号表などが利用されることはなかった。部分的に消失したソ連符号表(1945年米陸軍回収済み)が「VENONA」暗号解読に関わってくるのは1953年になってからである。しかもアーリントンホールがその年に古典的解読法で更に大きな進展を成し遂げた後のことである。「VENONA」文書の暗号解読は、聡明で献身的な男女の小グループがアーリントンホールの一室に缶詰になって成し遂げた地道な分析作業の賜物である。

KGBによる諜報工作

「VENONA」文書にはKGBによる当時の諜報活動の実際(諜報や対諜報活動に必要な実践的手段や対策)について、かなり詳細な部分まで書かれている。米国内のKGB支局によって収集されたデータの総量は余りに大きく、電報では送信できる容量を遥かに超えていた。「VENONA」文書には電報の代わりに、機密文書を撮影した写真の束が諜報員によってモスクワに運ばれた事実が記されている。ある解読結果では、KGBニューヨーク支局がモスクワへ「ROBERT」というコードネームの工作員が撮影した57巻に及ぶ映像フィルムについて連絡している。この大量の機密資料(ソ連にとってはお宝の山)もモスクワ本部に向けて注意深く発送された。

「VENONA」文書はKGBが彼らの工作員と密会するときの手口について詳述している。工作員との密会においては安全性の確保に細心の注意が払われた。ある暗号通信では、FBIの捜査に対する対抗手段、盗聴機器の発見方法、米国潜伏のロシア人工作員の忠誠度維持などについて記述されている。「VENONA」文書の中でも傑作は、サンフランシスコやその他の米国内寄港地でソ連籍商船から脱走したロシア人船員の捜索について記述しているくだりである。そして最も興味深いものは、アメリカ人共産党員の工作員への採用や、その後の査定評価について詳細を記した部分である。

第二次大戦下における「VENONA」文書中のKGB暗号通信はほとんど全て、KGB第一総局(FCD)局長Fitin中将と海外のKGB支局長との間で交わされたものである。FCDはKGBの対外諜報部門であり、ソ連邦外における対外工作や防諜活動に従事した。しかし人員数の点では当時においてもその後においても、KGB内では極めて小規模なものであった。国内防諜や治安維持を担当する第二総局(ここと関係部署がソビエト連邦における本当の秘密警察と言える)や軍事防諜を担当したSMERSH(ロシア語、「スパイには死を」の頭文字)の方がずっと大規模なものであった。KGBの編成は重厚であり、警察部隊、収容所警備部隊、スターリンおよびソビエト指導部の護衛部隊なども含まれていた。1943年から1945年にかけてアーリントンホールや米海軍通信情報部隊はソ連警察やSMERSHの無線傍受を小規模ではあるが実施した。

KGB工作員と将校たち

外交特権の保護下にあろうと不法潜入工作に従事していようと、KGBの将校(警察の階級を流用)はソ連市民であり、ソ連指導部に忠誠を誓っていた。「VENONA」文書中でKGB将校たちは「作業者」もしくは「幹部」と言及されている。不法潜入工作員達もソ連市民であり、外国でソ連の公的機関との関係を一切消し去って潜入工作に従事するKGBやGRUの幹部であった。不法滞在工作員たちはその身分ゆえ、なんの外交特権も持たなかった。工作協力者は諜報工作や他の極秘活動をKGBに代わって実行するために採用された民間人である。「VENONA」文書中ではそのような協力者が「見習い人」と符牒で言及されている。他方、工作協力者と幹部諜報将校(KGB工作員/諜報員)の丁度中間に位置するような人物も「VENONA」には登場する。アメリカ人の共産党員であるJacob Golos、Elizabeth Bentley、Greg Silvermasterなどは諜報員網の巧みな管理者であり、そのような範疇に属する人物である。事実、Silvermasterは一時モスクワでKGBの殿堂入りした唯一のアメリカ人であった。

米国におけるKGBとGRUのスパイ、潜伏工作員

実名やコードネーム併せて数百名の人物が「VENONA」文書に登場する。これらの人員は米国内に残留し、有事における諜報要員や連絡係としてKGB/GRUに認識されていた。身元が判明している人物も多数あり、逆に身元が特定できていない人物も多数存在する。これら数百名のスパイは「VENONA」中に同じく多数登場するKGBやGRUの諜報幹部とは区別されている。そのようなスパイの一人、Robert Silvermasterは「VENONA」文書中に数十回に渡って登場する。その他のコードネーム化された人物は僅か2,3回現れる程度である。KGBニューヨーク支局の暗号通信に見られるコードネームを持つスパイについても、身元が特定されていないものも含め、大多数の出現回数は多くて3回程度である。

「VENONA」に見られる米国共産党

「VENONA」文書解読によって、KGBが米国共産党と集中的に接触していた実態が明らかになった。米国共産党員が絡んだ諜報工作事案の多くは「VENONA」文書解読で白日の下に晒されることになった。

Rosenberg夫婦と原子力爆弾開発に対する諜報工作

「VENONA」文書では、原子力爆弾開発に対する工作関係文書が最初に公開された。ここで公開された49件の文書の多くはKGBの暗号通信で、それ以外ではGRUとソ連外交関係の暗号方式を使用する通信がそれぞれ含まれていた。

これら49件の文書では、Rosenberg夫婦(JuliusとEthel)、Harry Gold、Klaus Fuchs、Greenglass夫婦(DavidとRuth)そして「MLAD」というコードネームで知られるスパイ(Theodore Hall)や、重要な役割を果たしているが正体の特定されていない「PERS」なる人物らの従事した極秘活動が明らかにされている。「VEKSEL」なるコードネームを持つ人物が果たした役割は不確定ながら、深刻なものであったと推測される。原子力爆弾開発に対する諜報工作に係わった人物には、今だに実名の特定されていない者が多数存在する。

「VENONA」文書によると、原子力爆弾諜報工作を米国内で指揮したのはKGB諜報将校のLeonid Kvasnikov(コードネーム: ANTON)である。しかし彼はその指揮に従事するだけでなく、Kvasnikov自身の掌握下に入ったRosenberg夫婦と同じように、米国のジェット推進機構開発、レーダーやロケット技術などの先端技術を対象としたスパイ活動も担当した。

他の大部分の「VENONA」文書と同じく、Rosenberg関係の通信でも「KGB諜報網の統率」や「工作活動の要領」について語られている。

原子力爆弾開発工程に科学者として侵入し、スパイ活動に従事したKlaus Fuchsは他のKGB暗号通信にも複数回登場する。「VENONA」文書から具体的な例を挙げれば次の通りである。「文書番号1606、1944年11月16日」、「文書番号183、1945年2月27日付、モスクワ本部発信ニューヨーク宛」、「文書番号349、1945年4月10日付、同右」など。最後に挙げた通信は、ソ連における原子力爆弾の開発速度について論争が展開されているという点で非常に興味深い。その中でKGBモスクワ本部がニューヨーク支局に伝えている内容では、CHARLZ(Klaus Fuchsのコードネーム)が横流しした原子力爆弾開発情報が「非常に貴重」であり、Fuchsの直近に作成した論文が「ENORMOZ(マンハッタン計画のコードネーム)における電磁質量分離法について、貴殿らが最初に提供した情報に言及している」と記述されている。

「NY、文書番号1507、1944年10月」の解読結果にはコードネーム「BUMBLE-BEE(熊蜂、ロシア語ではSHMEL)」に実名として「David Greenglass」と注記されているが、原本では手書きで「David Greenglass」から「Walter Lippman」へ修正されている。この修正は適切である。

「VENONA」計画は、アーリントンホールの暗号解読者に開示されたKGBとGRUの暗号通信に関わるものである。収集された暗号通信で、解読に成功したものは一部に過ぎず、収集当時のKGB/GRU暗号通信が全て暗号解読者に開示されていたわけではない。よって「VENONA」文書の本文に記録されているKGBやGRUの工作活動についてより詳しく知る術を今のところ我々は持たない。

「VENONA」計画に対するKGBの潜入工作

通信諜報以外の情報源からは、「米国によるソ連暗号通信傍受がKGBによって素早く察知された」との報告が多数上がってきていた。限定された情報ではあるものの、KGBが1944年時点で既に米国による暗号解読作業を把握していたと、KGB工作員であったElizabeth BentleyがFBIに証言している。BentleyがFBIに証言したのは1945年の終わり頃のことである。Kim Philbyは1949年から1951年のワシントン着任時、アーリントンホールに直接出向き「VENONA」に関する打合せに参加することもあった。のみならず、公務の一環として「VENONA」解読過程の概略を定期的に入手していた。ソ連がアーリントンホールで進捗する解読作業を知ったとしても、発信済みの暗号通信を取り消すことはできる筈もなかった。KGB工作員はアーリントンホール内部にも存在した。ロシア語を母国語とするBill Weisbandである。1944年夏、彼は海外任地からアーリントンホールへ帰隊している。Weisbandは1934年からKGBの工作員であり、1945年初旬にニューヨークでKGBより新たな任務を付与されたと伝えられている。Weisbandは「VENONA」文書に「ZVENO」というコードネームで登場し、1945年から逮捕される1950年まで、アーリントンホールのロシア課に勤務した。彼によって米国の対ソ通信諜報作戦が被った損害は極めて深刻かつ重大である。詳細については、「朝鮮戦争: 通信諜報の観点から」(暗号技術歴史センター、2000年)を参照のこと。

ニューヨーク-モスクワ間の暗号通信発信件数

1939年から1941年におけるニューヨーク-モスクワ間でKGBとGRUがそれぞれの支局と交わした暗号通信は解読できなかった。が、この期間におけるKGBとGRUの通信量を比較した場合、少なくとも当時の米国においてはKGBよりGRUの方が活発な諜報工作を展開していたと言える。例を挙げると、1940年にGRUニューヨーク支局からモスクワへ発信された暗号通信は992件発生している一方で、KGBによる通信は335件である。更に、「VENONA」計画で1944年から1945年の暗号通信を解読した結果、KGB掌握下にある諜報工作関係者の多くが元GRUの工作員(もしくはGRU掌握下にあったコミンテルン工作員)であることが分かってきた。1942年には1300件近くのKGB暗号通信が発生しているが、その内の23件のみしか解読に成功していない。1943年には1300件を少し超過する暗号通信が発生しているが、これについては200件以上の解読に成功している。

コミンテルンとソ連情報機関の関係

コミンテルン(共産主義インターナショナル)はソ連統制下にある組織であり、米国を含む世界各国の共産党と連携し、世界革命の実現を画策した国際組織である。モスクワはコミンテルンの組織を通して各国の共産党を指導、支援、命令していた。このような役割を持つ組織にもかかわらず、1943年にスターリンはコミンテルンを公式に解体する。この解体に関連して、1943年9月12日付で全KGB支局宛に発信された暗号通信(KGB 文書番号142)は「VENONA」文書の全解読成果の中で最も注目に値し、歴史的にも極めて重要な暗号通信の一つである。この通信ではKGBとコミンテルンとのつながり、そしてKGBと各国の共産党とのつながりが明確に記されている。通信本文ではコミンテルン解体後に各国の共産党本部内で情報源やコミンテルン工作員をどのように扱うべきかが、事細かに指示されている。公開されている解読結果はモスクワからKGBキャンベラ支局に発信されたもので、全支局に発信されたものの内、唯一解読に成功したものである。

米国内におけるKGBの編成

「VENONA」文書収録の暗号通信が実際に飛び交っていた頃、KGBの米国支局はニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコに開設されていた。サンフランシスコに支局が開設(もしくは再開設)されたのは1941年12月である。支局規模ほど大きくはないが、サンフランシスコ近郊のロサンゼルスにもKGBの事務所が設けられていた。

「VENONA」解読によって、KGBニューヨーク支局がソ連の公的機関を隠れ蓑にして活動していたことが分かった。KGB工作関係者の隠れ蓑として機能したソ連の公的機関は、ソ連領事館、購買委員会(アムトルグ貿易会社/ソ連政府購買委員会)、タス通信などである。他支局駐在のKGB諜報将校は主に購買委員会の身分を利用し、軍需物資貸与関連の工場監督者として米国内の至る所で活動した。

Vassili M. Zubilin(本名: Zarubin、訳注: 1945年に少将昇進)はKGBニューヨーク支局に局長級の工作員として駐在した。その期間は1942年から1943年である。1943年中にはワシントン駐在として異動になった。「VENONA」文書中におけるZubilinのコードネームは「MAKSIM」であり、多数のKGB電報には彼の記名がある。Zubilinの妻の名はElizabeth(訳注: Bentleyとは別人)という名のKGB大佐であり、「VARDO」というコードネームで活動した。「VENONA」文書はZubilin/MAKSIMが米国KGB内において最高位に近い幹部将校であった可能性を示唆している。たとえば、Zubilinがワシントンに着任する1943年後半までKGBワシントン支局からの暗号通信は発生していない。それ以前はKGBニューヨーク支局がKGBワシントン支局の代理として発信していた。

海外展開するKGBの全支局はKGBモスクワ本部第1総局(対外諜報担当)の統括下にあった。KGB第1総局々長はPavel Fitin中将/コードネーム「VIKTOR」であり、「VENONA」文書中に見られる暗号通信宛先の大多数は「VIKTOR」であった。

KGB諜報将校Pavel Klarin/コードネーム「LUKA」がZubilin/MAKSIMの後を引き継いだ。1944年にはStepan Apresyan/コードネーム「MAJ」がニューヨーク駐在となった。「VENONA」文書中には「MAJ」と記名のある通信が数百件存在する。以上のニューヨーク駐在諜報将校は全てNY副領事の保護下で活動した。NY駐在のKGB諜報将校のほぼ全員がKGB第1総局の指揮下で活動したが、日常任務の詳細はKGBが「系統(訳注: 原文=Line)」と呼称した作戦群の分類に従って遂行された。「系統」とは工作群の最終目標、もしくは工作群の持つ特定の目的に従って分類されていた。多くの「系統」が「VENONA」文書に登場する。「系統」が持つ意味内容は通信本文から特定できた。はっきり特定できない場合でも文脈からの類推は容易であった。このような「系統」の存在は1942年から1943年に交わされた通信に見られる。

系統:
工作対象もしくは工作目的

「KhU」系統:
マンハッタン計画をはじめ、ジェットエンジンやロケットエンジン、そしてレーダー技術などを含む先端技術開発研究が対象(Rosenberg夫婦のグループはこの「系統」に沿って工作活動を展開した)

「白」系統:
おそらく白系ロシア人に対する工作活動

「第五」系統:
ソ連籍商船隊の警備/監視(KGB第2総局-国内防諜/治安維持を担当-が関係していると推測される)

「第二」系統:
連邦維持の観点から民族主義者および少数民族を監視(例: ウクライナ人)

技能「A」系統:
文書偽造などに関わる特殊任務。おそらく不法潜入工作員支援を目的とした系統

「同志」系統:
米国共産党との連携

「援護」系統:
各「系統」下で動くKGB諜報将校への間接的(組織的)援護および直接的援護

「VENONA」文書中で言及されるKGB/GRU以外の組織では、政治的戦略/謀略を担当した第8総局、電報の暗号化/復号化に関わる暗号特別室、「センター」とのみ記されるKGB本部、単に「家」、「デカい家」と記される組織などがある。最後に挙げた「家」もしくは「デカい家」と呼称される組織はコミンテルンのモスクワ本部であると推測される(KGB本部と同じ意味で使用される場合も少なからずあったが・・・)。

KGBニューヨーク支局から発信されるほぼ全数の電報に駐在員(MAKSIM、LUKAもしくはMAJ)の記名があり、その宛先はKGB第1総局のトップである「VIKTOR(Pavel Fitin)」であった。KGBニューヨーク支局から「ANTON(KGB諜報将校Leonid Kvasnikov)」の記名で発信される暗号通信も存在した。これはKGBモスクワ本部が、「KhU」系統の最上位工作員である「ANTON」の権限を強化した結果である。また特定の条件下においては、「PETROV」宛に発信される電報も存在した。「PETROV」は高い確率でソ連邦治安維持部隊のトップ、L.P. Beriaであると推測されるが、Beriaが最も信頼する副官であり、1943年後半よりKGBの工作活動を指揮したV.N. Merkulovである可能性も否めない。

ソ連の不法潜入工作員「MER/ALBERT(洋服屋に擬装して活動したKGB諜報将校Iskak Akhmerov)」が「VENONA」文書に登場するのは、1942年から1943年にかけてのニューヨーク発ワシントン宛通信が最初である。「VENONA」文書はソ連情報機関が使役した不法潜入工作員に言及した貴重な資料である。しかし、この特筆に価するAkhmerovや不法潜入工作員が絡んだGRU(海)の工作活動以外で「VENONA」に記録されている不法潜入工作員絡みの活動はごく少数である。

解読成果とKGB暗号方式

1942年から1943年にかけて交わされた通信の解読は断片的な内容であること多々あり、分析も困難であった。暗号自体が複雑であり、純粋な分析的手法だけで突破することは難しかった。更に、通信本文に記述されている内容が多岐にわたることから文脈上の展開についても広範な可能性を考慮する必要があり、その結果、KGB暗号方式の突破読解は著しく困難なものとなっていた。

KGB第1総局が採用した暗号方式は、まず単語や常套句に予め数字が割り当てられている符号表を使用した。そしてこの符号表を元に平文から変換された数列を、更に「ワンタイムパッド(以下、OTP乱数表)」に基づき乱数に変換するものであった。OTP乱数表の各ページは乱数で構成されている。この乱数によって、符号表を元に数列化された本文に新たな暗号層が付与されることになる。そして使用されたOTP乱数表の該当ページは、発信者/受信者双方に暗号鍵/復号鍵として共有された。OTP乱数表が適切な使用法(乱数ページの再利用はしない、使用後は廃棄)に基づき運用された場合、暗号の解読は不可能である。しかしソ連邦内の「KGB暗号化資料製造センター」は明らかに同一のOTP乱数表を再印刷した。これがKGB暗号方式にとって致命的な脆弱性となり、アーリントンホールに暗号方式突破の大きな手掛かりを与えることになった。1942年のKGB暗号通信ではOTP乱数表の再利用がほとんど無かったので、解読できた通信はほとんど無い。1943年から1944年へ時系列に沿って事態は好転する。OTP乱数表を再利用した暗号通信の増加によって、暗号通信解読率も上昇した。

KGB暗号方式の完全解読とは、まず数列の暗号層を特定後、それを除去し、秘匿されていた符号数列を可視化して初めて、内容解析に着手できるものであった。以上のように暗号層を2階層突破して平文が露出してくる。よって符号表に基づく解析を加えるだけでも非常に困難を伴った工程になり、多くの符号数列群が復元されずに終わった。1941年以前、1942年、43年、44年に発信された暗号通信が依拠した符号表は同じ版であった。1944年の一部と45年の暗号通信は新たに改訂された符号表に依拠していた。

符号表の回収

本論考で既述の通り、アーリントンホールによるKGB暗号方式の突破は、回収した符号表や乱数表などの手掛かりが何も無い状態で、地道に進捗した弛まぬ分析作業の賜物である。暗号方式のの表層に位置し、もっとも重要な乱数暗号層の突破は1943年と1944年になされた。これはRichard Hallock、Cecil Phillipsら少数の暗号解読専門家がそれぞれの担当分野で特異な才能を発揮した結果である。Meredith Gardnerにとって、ここで乱数暗号層を突破した経験が、新しい符号表に依拠し、更に下層に位置する符号数列層の突破にも役立った。改訂された符号表に依拠する符号数列部の解析に成功したのは1946年後半のことである。米国-モスクワ間で発生した暗号通信で解読された通信の大部分は改訂後の符号表に依拠しており、解読作業は1947年から1952年にかけて進捗した。これらの解読は回収した符号表などの手掛かりが一切無い状態で達成された。

1942年から1943年に発信されたKGB暗号通信は初期の符号表を使用しており、この符号表は改訂版より複雑難解であった。これら1942/1943年発信分の暗号通信の解読に成功したのは、NSA(アーリントンホールの後継機関)のSamuel P. Chew博士が「VENONA」計画中でGardnerに引き続き二度目の大きな暗号解読上の功績を挙げた1953年から1954年以後のことである。1945年に回収済みの焼け焦げたKGB符号表が1942年/1943年当時に使用された符号表であると特定され、アーリントンホールの暗号分析チームに解読作業の重要資料として回送されてきたのは、この「二度目の功績」以後のことである。

米軍情報関係部署を指揮していたPaul Neff大佐(アーリントンホール直属)が第二次大戦の最終期に部分的に焼け焦げた符号表の撮影フィルムを入手した。入手場所はナチス外務機関の通信諜報書庫であり、この外務機関はザクセン州の古城に設けられていた。ソヴィエトの占領軍がザクセンに侵出してくる直前に、Neff大佐の情報部隊はその符号表資料を戦線後方の米国指揮所に送った。ナチスは写真撮影されたその符号表を1941年6月22日にフィンランドのペツアモソ連領事館から回収していた。領事館制圧の間際で、KGB諜報将校が符号表の部分的焼却にしか成功しなかったと思われる。Neff大佐による符号表資料発見とほぼ同時期、大佐と同じくアーリントンホール関係者であるOliver Kirby中尉も、ドイツ・シュレスヴィヒにおける特殊任務中にKGB暗号方式に関わる重要資料を入手していた(NeffもKirbyも後にアーリントンホールとNSAの民間人幹部となっている)。

KGB暗号化方式
「1939年以前-1944年」式
アーリントンホールによる暗号解読時期
1953年-1954年以後
回収された符号表の利用
主要な暗号突破口発見の後に少々

KGB暗号化方式
「1944年-1945年」式
アーリントンホールによる暗号解読時期
1946年後半-1952年以降
回収された符号表の利用
なし

KGB工作の詳細とその作戦群 1942年から1943年

「VENONA」文書で頻繁に登場する、KGB工作作戦上の隠語類(例)を以下に記す。

「見習い人」
KGB工作員
「同志」
米国共産党々員
「作業者」もしくは「幹部」
KGB諜報将校
「冷却」もしくは「凍結」
工作員の休眠
「伝説」
偽情報
「隣人」
KGBからGRUに対する呼称(その逆も同じ)

「VENONA」文書中でKGB工作の詳細と作戦群が記述された箇所については下記を参照。

・OSS(米軍戦略情報室)内のKGB工作員:
「文書番号880 - 1943年6月8日付」
「文書番号424 - 1942年7月1日付」
「文書番号1132および1133 - 1943年7月13日付」

・ルーズベルト大統領とチャーチル首相双方の周辺に潜伏したKGB工作員(人物は未特定、不法潜入工作員であるMER/ALBERTの記名が暗号通信にあることに注意):
「文書番号812-1943年5月29日」

1944年から1945年におけるKGB暗号通信(NY/ワシントン-モスクワ間)
*****
KGBワシントン支局

原子力爆弾開発などの先端技術への潜入工作を例外として、KGB工作の主要な情報源はワシントンに集中していた。しかし、「VENONA」文書にはワシントンを基盤とするKGB諜報網がKGBニューヨーク支局によって管理運営されていた事実が示されている。つまり、明らかにKGBワシントン支局が関わる工作活動についても、その報告はKGBニューヨーク支局によって発信されていたからである。1943年末以前に、ワシントン支局からの発信は確認されていない。1944年においても、ワシントンからの通信量はNYのおよそ半分であった。1945年には反転してNYの2倍に及ぶ暗号通信がワシントンから発信されていることから、このあたりにNYからワシントンへ何らかの権限委譲があったと推測できる。1942年から1943年にNY駐在であったKGB将官Vassili Zarubinが1943年にワシントンへ移った。これ以降、KGBワシントン支局の扱う通信量は右肩上がりで上昇し始める。1944年のZarubinワシントン召還に際し、Anatolij Gromov/コードネーム「VADIM」が後継としてワシントンに到着した。Gromov(本名: Gorsky)は30代後半のKGB上級幹部であり、このワシントン着任に先立つ4年間はロンドンに駐在していた。KGB米国諜報網のリーダー格であったEilzabeth BentleyはGromovについて「Al.」というコードネームしか知らなかった。(*コミンテルン解体1943年)

ニューヨークにおける工作戦 新しいKGB

1944年にStepan Apresyan/コードネーム「MAJ」がNY駐在となる。MAJの同僚もしくは部下と推測される「SERGEI」によって、ワシントンへ発信された通信には苦情が綴られている。「SERGEI」の苦情によれば、「MAJ」は「経験不足の若い幹部であり、海外活動の経験も無い」とのことであった。(米国内で「SERGEI」というコードネームを使用した人物はVladimir Pravdinという偽名を使用した形跡がある。Vladimir Pravdinは1930年代のヨーロッパでKGBによる拉致/暗殺に関与していた)

Apresyanは28歳で、NYでは副領事の身分を隠れ蓑にして活動した(NY発信 1944年10月9日~11日付通信参照のこと)。なぜこのApresyanが28歳という若さでKGBの上級幹部職にまで昇進できたのかは不明である。「VENONA」文書によれば、この時期におけるKGBの作戦上に大きな修正や変更が集中している。Jacob Golos/「ZVUK」やGreg Silvermaster/「PEL/ROBERT」らの米国人共産主義者によってKGBに提供されてきた既存の工作員網を直接的に指揮統率しようとするKGBのモスクワ本部とNY支局の意図があったと推測される。そして「MAJ」による暗号通信では、「米国共産党以外から工作員を選抜採用するべき時期に来たのではないか」と主張されている。この変更は主だった米国人工作員幹部Greg Silvermaster、Elizabeth Benrleyや、その配下の工作員にも反対された。彼らは「KGBモスクワ本部は我々を信用していない」と抵抗し、「今まで活動してきた我々米国共産党指導部を無視する形で、ロシア人KGB幹部に米国人工作員を直接担当させても、工作活動遂行の実際面で障害を発生させるだけである」と不満を露わにした。おそらく米国共産党指導部によるこのような不満を考慮し、不法潜入工作員「ALBERT」が米国に投入されたと思われる。このようにしてSilvermaster、Elzabeth Bentleyと彼らが統率する工作員組織、そして「新組織」のメンバーが「ALBERT」の指揮掌握下に入った。

「VENONA」文書では、KGBによる諜報作戦の実際 - とりわけ機密工作の手法や防諜対策 - が極めて詳細に記されている。「VENONA」文書中に時折登場するKGBの用語「Konspiratoria」とは諜報工作の技法や機密保全のことである。「VENONA」文書中に見られる一例を以下に記す(全てNY発モスクワ宛):

・米国人工作員の採用について:
文書番号27、1945年1月8日付/文書番号15061944年10月23日発信
・会議と出席者照合に用いる符牒について:
文書番号1220、 1944年8月26日発信
・機密文書撮影要領:
文書番号1469、1944年10月17日発信
・内偵調査に対する妨害工作:
文書番号1755、1944年12月14日発信
・科学技術情報の収集と潜入要領:
1944年12月27日発信
・文書偽造の手順と要領(KGB「A」系統担当):
文書番号1203、1944年8月23日発信
・偽装会社、偽装事業について:
文書番号618、1944年5月4日発信
・工作員に対する給与支払、報酬について:
文書番号1052、1053、1945年7月5日発信

また「VENONA」文書には、KGBの「ECHO」、「DICK(本名: Bernard Schuster)」ら米国人工作員と米国共産党が諜報工作上で、その立場を利用していた実例が記されている。それはKGBの代わりに工作員候補者の身元調査を進める場合の具体的方法である(文書番号1221、1457、1512、NY発モスクワ宛、全件1944年発信)。

熟練したGRU工作員であるAlger Hissに言及していると推定されるKGBの暗号通信が存在する。文書番号1822、1945年3月30日発信の暗号通信である。この通信中で「A」と記述されている不法潜入工作員トップのALBERT/Iskak Akhmerovが、「ALES」なる工作員の面接結果を報告している。「ALES」なる工作員はALBERT/Iskak Akhmerovとの面接で、「GRUにおいて自分が最近挙げた業績成果」を語り、「1935年からずっと継続的にGRUの工作員として活動している事実」を述べた。後になってアーリントンホール分析官はHissがこの「ALES」なのではないかと推測した。

KGBの特殊任務

通常の工作活動に加え、KGBは他の極秘任務も遂行していた。「VENONA」文書中の記述より、1944年ワシントンでソ連購買委員会から亡命したViktor Kravchenko/KOMARを「狩る」ために、KGBが米国内工作員を使役した形跡が窺える。文書番号594、600、613、614、654、694、724、726、740、799、907、NY発モスクワ宛、1944年5月~8月発信を参照のこと。

以上に挙げた文書の後半でMAJからPETROV(ソ連邦治安維持隊の長L.P. Beriaもしくは、Beria第一の副官でKGBの通常任務を統括していたV.N. Merkulov)宛の通信では、NY側MAJによって「KOMAR/Kravchenkoの逃亡先がベテラン工作員Mark Zborowski(コードネーム: TULIP チューリップ!!)によって把握された」と報告されている。この一連の経緯に関連した通信としては、「文書番号1145および1202、1944年発信」や「文書番号19および97、1945年1月発信」が存在する。「KOMAR亡命事案」に関してNYから最後に発信された通信では、「KOMARが自分の身の危険を察知して恐慌状態に陥っていること」、そして「KGB工作員のKANT(「チューリップ」の代わりにMark Zborowskiに与えられたコードネーム)とZHANNAの二名がKOMARに対する『作業』を完了したこと」が記されている。これら「KOMAR」関連の通信本文では、「反共移民者団体の亡命事件への関与」、「David Dallin(メンシェヴィキ、反共主義作家)とIsaac Don Levine(ロシア出身、米国籍記者/反共主義者)の件」、「メンシェヴィキ指導者、Aleksander Kerenskij」などに対する言及も見られる。KGBニューヨーク支局による報告には「KOMARはKRIVITSKIJについて知悉していた」という不可解な記述がある(文書番号740、1944年5月26日発信)。KRIVITSKIJとは1941年ワシントンで自殺したとされるKGBの著名な亡命者である。

1945年、KGB工作員でありスパイ網の管理者そしてKGBとの連絡係であったElizabeth BenteyがFBIを訪れ、米国内におけるソ連の諜報工作、そして彼女自身が果たした役割について供述した。彼女の供述調書は100ページにのぼり、そこでは数多くの実名が暴露されていた。彼女の供述によれば、社会的に信用のある地位や身分にありながら米国の情報をソ連へ横流しした人物たちの氏名である。しかしBentleyは文書などの物的証拠を何一つ持っていなかった。Bentleyの証言に基づき起訴された事件は一つも無い。その後何年もの間、Bentleyは議会や法定で証言を繰り返したり、自身の工作活動について記録した著書を出版するなどした。Elizabeth Bentleyという存在は論争の対象となり、彼女の証言を信用せず、否定する人々も多数存在した。Bentleyは彼女がFBIに供述した何十人もの工作員や諜報将校と共に「UMNITsa」、「GOOD GIRL」、「MYRNA」というコードネームで「VENONA」文書に登場する。彼女が供述したソ連諜報工作に関する情報は、ほぼ正確であったことが「VENONA」文書解読によって分かっている。

Boris Moros

Boris Morosもまた冷戦期において、Elizabeth Benrleyと同じく論争を巻き起こす人物であった。1959年にMorosは批判の的となった著書「二重スパイとして過ごした十年」を執筆した。その著書でMorosは、長期間に及んでKGBに協力した詳細と、FBIに転向してKGBによる米国内工作活動の実態を証言した経緯について語っている。Morosの著書では、「VENONA」の通信本文でも言及されているVassili ZarubinやJack Sobleなど工作員複数の人となりについて記されている。Moros自身は「VENONA」に「FROST」として登場する。国家間工作活動を遂行するための偽装会社、KGBの窓口として 機能する音楽会社に資金提供した詳細をMorosは著書で述べている。この動きは確かに「VENONA」にも記述されている。Stern(コードネーム: LUI)は当時、「13万ドルの投資が水泡に帰した」また「再確認するが、私は助力を惜しまないつもりである。私の資金力は確実で建設的な目的に十分耐えうる」と発言したとされている(文書番号4、5、11、18、19、NY発モスクワ宛、1945年1月3日、4日発信)

Donald Maclean

長期間にわたってKGBの工作員として活動したDonald Maclean/コードネーム「HOMER」が多数のNY発ワシントン宛「VENONA」文書に登場する(文書番号915、1105~1110、1146、1263、1271~1274、そしておそらく1352、全て1944年発信)。Macleanの工作活動は「VENONA」文書解読によって無力化された。1945年にワシントンからKGBモスクワ本部宛に発信された全通信のうち1.5%(36件)しか解読されていないが、この中の6件が「HOMAR」関連の通信であるという事実は注目しておくべきである(文書番号1788、1791、1793、1808、1809、1815、1826、文書番号1808と1809は一続きの通信である)。アーリントンホール分析官が発見した暗号解読はごく僅かの手掛かりを元に成し遂げられたもので、その手掛かりとは1945年3月と6月発信分にのみ適用できたことに注意しておかねばならない。つまり、ここで我々が得た解読結果はMacleanによるソ連への機密情報漏洩の全容ではなく、その氷山の一角に過ぎないということである。

「HOMER」とはロシア語表記のコードネーム「GOMER」の英語転写である(ロシア語で使用されるキリル文字にはアルファベット「h」の発音にあたる文字が無い。よって「h」で始まる外来語にはキリル文字で相当する「g」を充てる)。1947/1948年頃には、「VENONA」計画初期のアーリントンホール主席分析官Meredith Gardnerが「HOMER」関連の暗号通信突破に着手した。しかし解読作業は思うように捗らなかった。理由は、「HOMER」というコードネームが「GOMMER(KGBの誤記)」、「GOMER」、「G」、「部材G」などと様々に表記されていたからである。まず最初からこれらのコードネームが同一人物をあらわしているということが分からなかった。NY発信、ワシントン発信双方で表記が違っていたので尚更解読作業を混乱させることになった。GardnerはまずNY発信分の解析に取り掛かった。

コードネーム「Albert」: 米国不法潜入工作員の大物

コードネーム「ALBERT(初期においてはMER)」はNY発信分にある記名も含め、「VENONA」文書中に50回以上登場する。「ALBERT」はIskhak Abdulovich Akhmerovで、米国不法潜入工作を過去に二回完了している熟練スパイである。「不法潜入」のスパイとは身分や経歴を偽装(KGBの用語では「伝説」)し、外交的な身分や特権を持たずに潜入した諜報幹部のことである。「VENONA」文書や他の資料から審らかになるKGB工作員「ALBET」の用いた偽名や偽経歴の多様さには目を瞠るものがある。

通信上のコードネーム(「VENONA」文書中のコードネーム):
MER(1943年から1944年まで)
ALBERT(1944年途中から1945年)

潜伏中に使用した偽名/通名(1937年から1945年):
William Greinke、Michael Green、Michael Adamec、その他多数

KGBスパイ網での呼称:
Michael、Bill。Elizabeth Bentleyはこの「ALBERT」のことを、「Bill」という通称だけで知っていた。姓や他の通名、まして本名などは知るはずも無かった。Bentleyは「ALBERT」の妻「Caherine」の存在は知っていた。「Catherine」も同じく不法潜入工作員である。「VENONA」におけるコードネームは「ELZA」であり、本名はHelen Lowryである。Helenは米国共産党指導者Earl Browder(「VENONA」中のコードネームは「RULEVOJ」)の姪にあたる。

本名:
Iskhak Abdulovich Akhmerov(KGB諜報将校の持つ「本名」については、たとえパスポートや外交官名簿に記載されているものでも、それは偽名である。たとえば、NYとワシントンに駐在したVassili Zubilinの本姓はZarubinである。実名調査を困難にしている理由として、KGB幹部の中の幾人かが「本名」としてロシア名では在りえない名前を名乗っていたことが挙げられる。伝統的なロシア名ではなく、ロシア語の単語を姓に使用していたのである。KGB幹部のVladimir PravdinとJacob Golosの姓はそれぞれ、「真実(Pravdin)」と「声(Golos)」を意味する偽名である)。

ある通信において、「ALBERT」は自分が不法潜入工作員として過去に携わった工作活動に言及し、その時自分の配下にあった工作員、LEONA、JULIA、TONYA、REDHEAD(Hedde Massingのコードネーム)らを挙げている。REDHEAD以外の実名は判明しておらず、「ALBERT」が1944年から1945年にかけて、かつての配下を再び工作員として復帰させたのか否かも定かではない(文書番号975、1944年7月11日発信)。コードネーム「A」なる人物が、有能かつ熟練したGRU工作員「ALES」に面接した内容を報告している「文書番号1822、1945年3月30日」の通信も重要であるので参照のこと。ここに登場するコードネーム「A」とは「ALBERT」のことであると思われる。

暗号解読

「VENONA」計画における解読作業の多くは1944年発信のNY発モスクワ「センター」宛電報が対象である。そしてこれらの大部分はKGB諜報将校コードネーム「MAJ(Stephen Apresyan)」と「VIKTOR(Pavel Fitin少将)」の間で送受信されていた。1944年NY発モスクワ宛通信の約50%は本文解読が出来るまでに暗号解除された。これと対照的に、1945年ワシントン発KGBモスクワ本部宛通信では約1.5%しか解読に成功していない。一方、モスクワ本部/「センター」発各支局宛の通信で解読に成功したものは比較的少数である。モスクワ発信の解読は少ないが、これらの通信内容はKGB工作の意図や行動原理を探る上で重要である。

我々にとって解読結果の読解は比較的容易で理解もしやすい。1944年から1945年にかけて符合表とOTP乱数表を用いた暗号は、アーリントンホール分析官による多大な努力の結果、ほぼ完全に解読された。が、意味の解読できなかった符号群によって、文意に著しい隔たりが存在する例もしばしば見られた。この1944年から1945年に発信された通信のNY発信分が「VENONA」文書の全通信の中でも最も早く暗号解除された。NY発モスクワ宛通信で解読に成功しているものは全て、1947年から1952年にかけてまず部分的にでも解読されており、その結果はFBIにも開示されていた(1948年より定期的に)。KGBワシントン支局発信分の多くも、この時期に解読され出したが、NY発信分ほど早い時期ではなかった。

1944年と1945年の通信は主に、大規模なソ連諜報工作に関与した多くの米国人の存在を明らかにしている。1944-1945年の暗号通信に見られる米国人工作員の多くは共産主義者であり、その総数は100人以上に上る。これら米国人工作員に浸透されていた組織を以下に挙げる:

米国組織
関連する「VENONA」文書

財務省
文書番号1119~1121、1944年8月4日~5日NY発信
文書番号1634、1944年11月20日NY発信

米陸軍戦略情報室(OSS)
文書番号954、1944年9月20日NY発信

米国陸軍省
文書番号1721~28、1944年12月8日NY発信

米国国務省
文書番号1822、1945年3月30日ワシントン発信

米国司法省
文書番号27、1945年1月8日NY発信

「VENONA」文書解読により、ホワイトハウスや連邦議会、政党、それに報道機関や先端技術を開発する軍需産業などに浸透していた工作員が明らかになった。「NY発信/文書番号1635、1945年11月21日付」や「NY発信/文書番号12~16、1945年1月4日付」の通信本文では、ROBERT(本名:Greg Silvermaster)の管理下で、ワシントンの米国政府省庁や政府機関に張り巡らされた大規模KGB諜報網の工作員や彼らの内紛について明らかになっている。

1940年代の米国で工作活動した後に英国へ不法潜入し、同じく諜報工作に従事した悪名高い二人組のKGB工作員について、現ロシアにおけるKGB後継機関が歴史学者に情報を開示した。この二人組は米国では「Lona Cohen」、「Morris Cohen」であり、英国では「Helen Kroger」、「Peter Kroger」と変名していた。「Lona Cohen」がKGBによる原子力爆弾開発工程への潜入工作でスパイとして動いていた時は「LESLIE」というコードネームであった(文書番号50、1945年1月11日NY発信を参照のこと。このコードネームが登場する唯一の通信である。この通信は「LESLIE/LESLEY」が、これに先立つ6ヶ月間、工作活動を休止していたことを暗示している)。

サンフランシスコとメキシコシティに展開したKGB
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トロツキー暗殺者/コードネーム「GNOME」

1943年から1946年に、メキシコシティとモスクワ本部で交わされたKGB通信は、「GNOME」なるコードネームを持つ男の釈放工作について詳述しており、歴史的資料としても大変貴重なものである。なぜなら、この「GNOME」は1940年にメキシコシティで発生したトロツキー暗殺の実行犯であるからだ。暗殺現場で現行犯逮捕されたこの男は、「Frank Jason」という名で知られている。彼はカナダ政府発行の身分証明を所持していたが、メキシコ当局はすぐに偽造されたものであると見抜いた。しかし「GNOME」は長期間にわたって数多くの偽名を使用していたため、彼の実名や経歴は長年にわたって不明であった。「GNOME(ロシア語表記ではGNOM)」の実名は「Ramon Mercader」である。「Ramon」はスペイン人の共産主義者である。彼は、スペイン人共産主義者でKGB工作員である母親の影響で、KGBの工作活動に加わった。Ramonの母親の名前はCaridad Mercaderであり、「VENONA」文書では「KLAVA」というコードネームで登場する。

1943年、ソ連がメキシコシティに大使館を開設したので、当地のKGB支局が「大使館」の有する外交特権の保護下に置かれることになった(これ以前にはメキシコシティでのKGB工作活動に外国特権による保護は全くなかった)。1943年から1945年にかけてKGBメキシコシティ支局がモスクワ「センター」に発信した通信は凡そ570件である。一方で「センター」からメキシコへ送信された通信は400件余りである。これは実質的な数字であり、「VENONA」文書で公開できるまでに暗号解読された通信は半分以下である。ここで公開されている通信の多くは「GNOME」事案に関連しており、「GNOME」釈放に向けてKGBが二つの計画を有していた事実を示している。一つ目は軍事作戦、つまり武力に訴えて彼を釈放するものである。二つ目は世論などを操作することによって「GNOME」を釈放に持ち込むものである。どちらにせよKGBは計画成功のために、米国、メキシコ、スペインの共産主義者を結集しようとしていた。が、この作戦は失敗に終わることになる。以下に掲げた「GNOME」関連のKGB暗号通信は特に注目すべきである(最後の2件以外は全てメキシコからモスクワ宛である)。これらの通信のうち何件かは、ソ連治安維持隊の長である「PETROV(L.P. Beria)」宛になっていた。

・軍事作戦の詳細
文書番号158、1943年12月23日発信、文書番号174~76、1943年12月29日発信
・KGB工作員Jacob Epsteinの活動
文書番号193、194、1944年3月14日発信
・KGBが工作員の一人に疑念を抱く
文書番号553~554、1944年6月29日発信
・世論誘導工作と獄中の「GNOME」と連絡の取れる人物
文書番号474、1944年6月6日発信
・「GNOME」の母親がメキシコに入国していることで問題が複雑になった件
文書番号172~174、1945年3月9日~10日モスクワ「センター」発メキシコシティ宛
・KGBメキシコ支局長の仕事に対する痛烈な批判
文書番号321、322、1944年8月19日KGBサンフランシスコ発モスクワ宛

他のメキシコシティ発信分は、この工作に関わった工作員の面々が実に多様であったことを物語っている。その陣容はトロツキー暗殺を指揮したLeonid Eitington少将(コードネーム: TOM)をはじめ、「La Pasionara(情熱)」という通称で知られるスペイン共産党指導者Dolores Ibarruri、後にノーベル賞を受賞することになるPablo Neruda、複数の共産党員、そしてKGB工作員である「Kitty Harris(コードネーム: ADA)」、工作員の愛人達、米国共産党指導者Earl Browderなどである。その他の暗号通信では、大戦後の悪名高いスターリン粛清で、著名な共産主義者Otto Katzが他の党員と共にチェコ共産党指導部によって処刑されたことに言及していた。同時期のNY発信分にも見られるが、Fisher夫婦(NicholasとMaria)についても記されている。KGBは米国の通過ビザで、この二人をメキシコに送り込もうとしていた。この二人はBeriaの指揮下にあり、重要な役割を担ったKGB諜報将校であることは間違いない。KGBの目的は「GNOME」事件を終結させ、原子力爆弾開発に関わる工作活動支援の増強にあったと考えられる。

サンフランシスコのKGB

KGBは1941年12月にサンフランシスコ支局を開設した。1941年から1944年7月までの駐在工作員はGrigori Kheifits(コードネーム: KHARON)である。後任はGrigori Kasparov(コードネーム: DAR)であった。1945年、モスクワ「センター」はNYに駐在としてStepan Apresyan(コードネーム: MAJ)を派遣している。国連会議(KGB工作員Harry Dexter White[米財務省]が出席予定)を見越したサンフランシスコの工作活動を引き継ぐためである。アーリントンホールとNSAではサンフランシスコ1941年~1942年発信分の内、125件の解読に成功していない(1941年発信はほんの2、3通である)。

KGBの工作活動でよく見られるように(NY、ワシントン、原爆関連の解読結果を参照)、KGBサンフランシスコ支局も子飼いの工作員(スパイ)を地方の共産党支部から採用していた。「VENONA」文書にも工作員として登場するIsaac Folkoff(コードネーム: DyaDYa - おじさん -)は、米国共産党カリフォルニア支部の重鎮であり、KGB工作員の発掘に優秀な才能を示した。しかし、注目すべき例外も存在した。西海岸の軍用航空機関連企業に潜入していた優秀な工作員は共産党員ではなかった。この工作員の名はJones Orin York(コードネーム: IGLA)である。彼は「金銭の為にKGBの下で工作活動を行ったが、得られた報酬は微々たるものであった」と後から証言している。

サンフランシスコ発信分の不自然なところは、1件だけの例外を除き、原爆開発潜入工作に全く言及していない点である(「VENONA」以外の情報源では、少なくとも1942年から43年にかけて具体的な原爆潜入工作が進捗していたことが確認されている)。ことによると、「VENONA」計画で解読可能な暗号通信が発信されるまでに、サンフランシスコにおける地域的な活動は終息していたのかもしれない(KGBロサンゼルス支局発信分は少数であったが、その全てが解読不能であったことも考慮しておくべきである)。サンフランシスコ発信分は、原爆以外の先端技術でKGBが潜入工作を展開していた明白な事実を我々に突きつけている。

KGBサンフランシスコ発信分とNY発信分の双方に登場するKGB諜報将校Olga Valentinovna Khlopkova(コードネーム: JULIA)の果たした役割は重要なものであった。彼女はBeria(ソ連邦治安維持部隊トップ)にとって重要な任務を遂行していたと推測される。それは、KGB内部の機密保全や治安維持に関わる任務であったはずである。

脱走船員狩り

KGBサンフランシスコ支局発信分の通信には、ソ連籍商船隊からの「脱走船員狩り」や、船員の自殺や事故死の調査に関するものが 数十件存在する。ここにはオレゴン州ポートランドに停泊する船から飛び降り自殺(1944年2月9日)した商船隊幹部Elizabeth Kuznetsovaの悲劇的な事例も記されている。後から発信されたKGB暗号通信(「VENONA」収録)によると、彼女はサンフランシスコのタクシー運転手と結婚する予定だったとのことである。この暗号通信の結び部分を以下に引用する。
『今年の11月4日、祖国に対する裏切り者「KUZNETSOVA」を収容したタンカー「BELGOROD」号がウラジオストクに向けて出航する。詳細は添付書類を参照・・・』
(文書番号65、151、159、293、サンフランシスコ1944年発信分/文書番号166、295、568、サンフランシスコ1945年発信分/文書番号379、1944年11月16日モスクワ発シスコ宛)

NYとワシントンのGRU
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米国内におけるGRU諜報工作に光を当てる

本論考でも既述の通り、1941年までソビエト連邦の対外諜報活動は主にソ連軍参謀部情報総局が担当していた。が、「VENONA」で解読可能となった暗号通信(1939年~41年に米国内KGB/GRU支局発信の通信は暗号解除できなかった)が発信される頃には、スターリンによってKGBが情報機関のトップに据えられていた。優秀な諜報幹部の多くがKGBに配置換えになったが、GRUも米国内で工作活動を継続していた。その工作内容は、1943年GRU/NY支局発信分に含まれる50件程度の通信本文で明らかにされている。

GRU/NY支局が発信した何百件にも及ぶ暗号通信が解読不可能なままである。GRUワシントン支局発信分の暗号通信が解読できていないという事実は、歴史研究の上でも大きな損失であり、この件は特に注記しておかなければならない。米国のアーリントンホールと英国の情報機関が最善を尽くしても、1941年~45年にかけてGRUワシントン支局が発信した何千件にも及ぶ暗号通信のうち、解読できたのはたった50件程度である。工作活動への言及があったGRU/NY支局発の暗号通信とは違い、解読されたこれら少数のワシントン発信分では、ソ連軍駐在武官の日常業務(米国軍需産業の公式視察など)が記されているのみであった。しかし別途、GRU暗号方式で送信された電報はどれも解読不可能であり、GRU諜報工作の詳細はこの暗号通信で報告されていたと推測される。

GRU/NY支局発の暗号通信から、GRUがOSS(米陸軍戦略情報室)など、米国政府機関の枢要に情報源を確保していたことが分かる。GRU/NY支局は、「MOK」というコードネームを持つ無線担当の不法潜入工作員も用意していた。他にもGRU/NY支局発の暗号通信では、GRUスパイJoseph Bernstein(米国共産党々員)/コードネーム「MARQUIS」の活動(アメラジア事件)や、彼が工作員(共産党員)に採用したT.A Bisson/コードネーム「ARTHUR」についても記されている。「MOLIERE」というコードネームで知られたKGB/NY支局々長、Pavel P. Mikhailov(これは彼が副領事に「化けて」着任する時に使用した偽名。彼の本姓はおそらく、MenshikovかMeleshnikovである)。GRUは米国政府内や民間組織の方々に有効な情報源を多数保有していたと思われるが、その多くは今も特定されていない。

GRU暗号方式について

GRU暗号通信(陸/海)の解読は、KGB暗号解読の進展に比して何年も遅れていた。1945年オタワで亡命したGRU暗号書記官Igor Gouzenkoが、アーリントンホールの暗号解析作業に直接寄与するものではなかったものの、GRU諜報活動の詳細が記された通信本文を当局に持ち込んだ。しかし結局のところ、GRU暗号通信の解読は、ソ連の外交/貿易関連暗号やKGB暗号方式の解読過程で蓄積された知識と経験、黎明期にあったコンピュータの利用などで達成されたものと言える。特に著名な数学者にして元米国海軍暗号分析官のRichard Leibler博士が1949年~50年にかけて成し遂げた研究が暗号解析の理論面を強化し、GRUを含む「VENONA」関連暗号方式の突破に新しい局面を開いた。

Leibler博士の解析法で、通信本文の開始部に不可解な共通点が存在することが判明した。暗号分析官で言語学者であるCharles Condrayは暗号通信の開始部で反復される共通点について解明しようとした。この分析過程で数学者のHugh Gingerichが解析作業にコンピュータを利用し、GRU暗号通信における暗号鍵の重複使用が特定されるに至り、最終的にはGRU暗号通信の解読につながった。

ソ連海軍GRUの暗号方式はアーリントンホールやNSAそれに英国SIGINT(通信諜報)関連機関が最善を尽くしても、解読できなかった。英国機関が重複鍵の特定にやっと成功したのは1957年である。

ソ連海軍GRU暗号通信の解読

NSAと英国関連機関は1943年にワシントン-モスクワ間で交わされた300件余りの暗号通信解読に成功した。ここにはワシントン発信分総数の約半分に当たる約200件が含まれていた。しかし、他の年ではほんの2、3通しか解読できず、ワシントン以外の支局発信分で解読できたものは皆無であった。

Commodore I.A. Egorichevは当時、ソ連海軍駐在武官としてワシントンにいた。彼はおそらくソ連軍情報機関の諜報部員としての役割も担っていたと考えられる。モスクワにいるEgorichevの上司はソ連海軍情報部長官Mikhail A. Vorontsov准将であった筈である。

ソ連海軍GRUは少なくとも米国内においては、ソ連情報機関として主導的な立場にはなかった。暗号通信の解読結果からは、ソ連海軍GRUワシントン支局が種々雑多な任務をこなしながら、独自の秘密諜報網を構築しようと葛藤していた様子が読み取れる。ソ連海軍GRUの暗号方式はソ連海軍軍需物資輸送代表部、海軍気象観測員、護衛艦将校などの情報機関関係者以外も使用していた。ソ連海軍GRUワシントン支局が扱った諸任務の例は以下の通りである:

・フロリダ州タンパにおける防諜対策
文書番号834、846~848、1943年4月13日ワシントン発モスクワ宛
・米国人共産主義者の工作員採用とその取扱について
文書番号115、1943年1月20日モスクワ発ワシントン宛
文書番号704、1943年4月1日モスクワ発ワシントン宛
文書番号1194、1943年7月10日モスクワ発ワシントン宛
文書番号1969、1943年8月13日ワシントン発モスクワ宛(先端技術分野工作の特例に言及)
・モスクワがソ連海軍情報部の「基本戦略」を設定
文書番号1109、1943年6月26日
・駐在武官の日常業務 - 米国海軍との情報交換
文書番号1657、1943年7月17日ワシントン発モスクワ宛
・悲嘆に暮れたソ連海軍提督
文書番号1150、1943年5月27日ワシントン発モスクワ宛

Sallyの場合

ソ連海軍GRUは、「AUSTRALIAN WOMAN」や「SALLY」というコードネームを持つ女性を不法潜入工作員としてソ連邦極東域から米国西海岸へ投入した。潜入手段は船舶である。この動きに関連する14件の暗号通信が解読されている。前半部にあたる文書番号2505~2512、1942年12月31日ワシントン発モスクワ宛は「VENONA」文書中でも最も長大な通信本文の内の一つである。この通常とは明らかに違う長文の通信には、この種の潜入工作にソ連海軍GRUが不慣れであり、GRU本部やKGBの協力が不可欠であった様子が記されている。この件に関して最後に解読された暗号通信では「SALLY」がサンフランシスコに貨物船で入港した事実が記録されている。後のFBIの捜査では「SALLY」が米国内で「Edna Patterson」と名乗っており、1956年に突然米国を去っていることが分かっている。彼女がオーストラリア生まれでソ連国籍を有していたことも捜査で判明した。

本論考の読者はKGBの暗号通信に登場する悪名高い「MER/ALBERT」など複数の不法潜入工作員を想起するだろう。他の不法潜入工作員としては、GRUの「MOK」やメキシコシティ発信の暗号通信に登場する様々な工作員が存在した(これらの工作員はスペイン国籍を有していた者やカナダ国籍の人物であり、ソ連国籍を有していたわけではなかった。このように不法潜入工作員として活動した人物の経歴は様々で多岐に及ぶ)。

ヨーロッパ、南米、オーストラリアにおけるKGBとGRU
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外交問題、貿易問題に対する考察

貿易関連および外交関連暗号通信の解読成果は余り詳細には検証されていない。「VENONA」計画による暗号の突破と解読は、その暗号通信が実際に送受信された時から何年も経って初めて達成されたものである。大量に飛び交った貿易関連通信の殆どは軍需物資貸与に関わるものであり、外交関連通信も領事館などによる定型化された日常報告が多かったので、一度暗号を解除してしまえば情報戦略上の価値は高いものとは言えなかった。しかし、これらの通信にも注目すべき点が二つある。一点目は、外交関連と貿易関連の通信はどちらも、KGBとGRUの暗号通信を解読する上で役立った(特に貿易関連通信の存在は暗号解析/解読上で非常に有益なものであった)。二点目は、ソ連の安全保障、防諜対策、暗号作成上の方針などに転換があった場合、これら外交関連/貿易関連通信に有意な徴候が現れることがあった。たとえば、1945年6月には外務副大臣が海外勤務者全員に対して、「第三国の情報機関(特定はされていない)がソ連外交筋の動きを注視している。我々の外交郵便が彼らによって開封調査されるかもしれない」と警告を発している(モスクワ外務省回覧全職員宛、1945年6月8日~13日)。1947年3月には海外に駐在するソ連大使や領事そして彼らの部下宛に、「料理人、子守、洗濯係、家政婦などの個人的に雇っている使用人がいる場合は速やかに全員を解雇する」ように、機密保全上の注意喚起が命令として送信されている。

貿易関連通信の中で、1942年12月にワシントン軍需物資貸与局の別室に二回侵入した件が言及されている。1942年12月モスクワ発ワシントン宛の通信には、「同志SHUMOVSKIJ」が1938年から1942年にかけて入手した「機密報告」に言及するものがあり、工作継続の上で「SHUMOVSKIJ」に指示が出されている。Shumovskijは「VENONA」文書にコードネーム「BLERIOT」として登場するKGB中佐であるので、貿易関連通信にも「SHUMOVSKIJ」が登場する事実は詳細な分析検証に値する。

ロンドン支局宛のKGB暗号通信

KGBロンドン支局宛の暗号通信で情報戦略上有益であったものは、ほんの一握りに過ぎず、その殆どは1945年9月にモスクワ「センター」から発信されたものだった。ロンドンで採取された一握りの通信が、ワシントンやNY発信の暗号通信解読の成果(ワシントン/NYの解読は先に完了)と共に、Donald Maclean、Kim Philby、Guy Burgessなどの主要なKGB工作員を特定するのに役立った。これらの工作員は「VENONA」文書では以下のコードネームで登場する:

STANLEY
Kim Philby
HICKS
Guy Burgess
GOMER(HOMER)
Donald Maclean(NY/ワシントン関連の通信に登場)

米国の読者にとっては以下の3件の通信が特に興味深いものと思われる。

・文書番号6 (1945年9月25日モスクワ発信) - 米国関連の工作員「DAN」について言及。この人物はロンドンの待合せ場所で、KGBが「コネティカット通りのVICKのレストランで会いませんでしたか」という合言葉で接触した男である。

・文書番号13(1945年9月18日モスクワ発信) - 「TINA」という身元不明(当時)の工作員による原子力爆弾諜報工作に関連する通信。「TINA」の入手する情報はKGBにとって「非常に重要で開発現場ににおける貢献も多大なものがある」と記述。現在では、「TINA」はMelita Norwood(訳注: 英国政府Mitrokhin文書でKGBおスパイであることが告発される/英国人)であるということが判明している。

・文書番号36(1945年9月17日モスクワ発信)- 「EDUARD」という身元不明の工作員が1939年から1945年2月まで潜伏していた事実を記す。また、「貴局発信の手紙で言及されており、EDUARDも接触した政治家は、我々にとって非常に重要な人物であり・・・」との記述も見られる。

ロンドン - モスクワ間のGRU暗号通信

GRUロンドン支局とモスクワ本部で交わされた暗号通信の解読はとりわけ興味深いものである。のみならず、ソ連の諜報活動について我々に新しい視点を与え得る。解読された暗号通信は約260件に上り、発信日時は1940年から1941年、そして1945年から1947年の二つの時期に分かれている。通信本文に記されている内容は、科学技術から諜報手法、そして工作員の個人的な事柄まで多岐にわたっていた。英国大空襲やドイツの電撃戦、ドイツの侵攻に関する今後の予想、英国軍の迎撃作戦、機密無線3回線開設を含むGRUの非常時行動規範などについて、専門諜報員が事細かに報告している。その報告内容はかなり詳細で、本格的な調査結果に基づいていることが読み取れる。「Xネットワーク」と呼ばれるGRUスパイ網への言及も見られる。このスパイ網には、ドイツ「エニグマ暗号機」の解読によって英国が得た情報を横流しした「BARON」という身元不明の工作員や、機密無線技師の「STANLEY」と「MUSE」、そして有名な「SONIA(Ursula Buerton)」などがいる。

1941年8月10日GRUロンドン支局発信の暗号通信からは、Klaus Fuchsとの連絡手段を英国内で再度確保しようとするGRUの動きが読み取れる。また、GRUは原爆開発初期の技術情報をFuchsから収集していた。後になってKGB/NY支局の暗号通信に見られる通り、Klaus Fuchsは「REST/CHARLZ」というコードネームで米国KGBの管轄下に入った。GRUロンドン支局に責任者として駐在したのはおそらく、Simon Kremerであったと思われる。Simonは駐在武官の私的秘書という身分でロンドンに潜入していた。GRUロンドン支局が送受信した暗号通信には、暗号方式に関わるものもあった。1940年から1941年にかけてGRUロンドン支局は彼らが言うところの「緊急方式」なる方法で通信の暗号化を実施した。「VENONA」文書に見られる暗号化方式の変則例である。このような事情からも、GRUロンドン支局の暗号通信は詳細に分析検証されるべきである。GRUロンドン支局で送受信された暗号通信の一例を以下に掲げる:

・空襲/着上陸作戦に対する英国側の迎撃準備
文書番号800、1940年7月23日ロンドン発モスクワ宛
文書番号922、1940年8月22日ロンドン発モスクワ宛
文書番号1009、1940年9月13日ロンドン発モスクワ宛
・仏ド・ゴール政権に潜入したGRU工作員
文書番号776、1940年7月17日ロンドン発信
・GRU機密無線
文書番号798、1940年7月22日ロンドン発信
・英国内に構築されたスパイ網に対するモスクワ本部の指示内容
文書番号450、1940年9月7日モスクワ発信
・「SONIA(Ursula Buerton)」が初めて暗号通信で言及される
文書番号2043、1941年7月31日ロンドン発信
・英国で進捗する「エニグマ暗号機」解読について工作員「BARON」が報告
文書番号649、1941年4月3日ロンドン発信
・Klaus FuchsとGRU/原子爆弾について
文書番号2227、1941年8月10日ロンドン発信
・英国軍部内に浸透した「X」諜報網
文書番号1188、1940年10月18日ロンドン発モスクワ宛

「AUTHUR」事件: ラテンアメリカ地域のKGB

「VENONA」文書より、第二次大戦中にKGBがボゴタとモンテビデオに支局を開設したことが分かる。前回公開されたメキシコシティ発信の暗号通信でも同じであったが、例によって秘密諜報要員を共産党関係者から採用し、KGBの活動がスパイ網構築と破壊工作へ傾斜していったことが読み取れる。NY発信やモンテビデオ発信、その他のKGB通信にも登場するコードネーム「AUTHUR」はKGBの著名な不法潜入将校Uozas(Joseph) Griglevichであると最近になって特定された。この男はラテンアメリカ地域で長期間潜伏しており、スターリン粛清やスペイン内線における血腥い経歴を持っていた。Uozas(Joseph) Griglevich/ARTHURと彼の協力者「ALEKSANDR」は(「VENONA」文書から判断すると)非常に忙しい反面、幾分焦点の定まらない雑務に従事した工作員であった。ある暗号通信によると、「ARTHUR」は1940年に南米で活動を開始している。後にはチリにおける潜伏工作のため異動となった。協力者の「ALEKSANDR」はおそらくチリ国籍を有していたと推測される。今回の開示ではKGBモンテビデオ/ボゴタ発信の暗号通信解読結果が150件程度含まれている。その一例を以下に掲げる:

・「ARTHUR」の経歴と彼に対する指示
文書番号61、1944年6月23日モスクワ発モンテビデオ宛
文書番号154、155、1944年9月8日モスクワ発モンテビデオ宛
・工作員「JAN」の投入に言及。「センター」は「JAN」に「南米諸国における『収穫作業』を手伝わせたい」との記述が見られる
文書番号164、1945年5月23日モスクワ発モンテビデオ宛

KGBボゴタ支局とモスクワ「センター」との間に興味深い遣り取りが存在する。それはヴェネズエラ共産党書記長の採用任命に関するものである。モスクワ「センター」はその人事を承認しつつ、定型化した工作員採用基準/形式に則って「採用者のソビエト連邦に対する完全な忠誠と献身をよく確認すること」と指示を出している。

KGBオーストラリア

「VENONA」文書に収録された他の暗号通信群と違い、キャンベラ-モスクワ間の通信はほぼリアルタイムで解読されていた。つまり送受信の日付から解読まで余り隔たりがないということである。更に、キャンベラ支局の扱った暗号通信は少量であったものの、1943年から1948年の長期間(途切れることもあったかもしれないが)にわたって解読可能であった。全体で200件以上の通信が解読された。これらはもちろんKGBキャンベラ支局が送受信した暗号通信の一部であが、解読された通信本文には典型的なKGBの工作員隠蔽策が記されている。世界各地のKGB支局で横行していた通り、工作員はソ連政府機関を隠れ蓑としたり、思いもつかないような民間企業などに潜伏していた。工作員が地元の共産党から採用されている点も各地のKGBと同様であった。KGBキャンベラ支局が扱った通信内容の一部を以下に掲げる:

・オーストラリア政府内に潜伏する隠れ共産党員およびKGB工作員について
文書番号130、1945年4月25日キャンベラ発信
・オーストラリア政府内のKGB工作員に対する報酬支払について
文書番号141、1945年5月5日キャンベラ発信
・オーストラリアの治安維持体制に関するKGB工作員の報告
文書番号324~325、1945年9月1日キャンベラ発信
・共産党員でありKGB工作員でもあるオーストラリア外務省高官
文書番号361~362、1945年9月29日キャンベラ発信
・重要工作員の取扱指示
文書番号7~8、1947年1月9日モスクワ発信
・スパイ網開拓時の注意
文書番号34、1948年3月8日モスクワ発信

ストックホルムからの便り

ストックホルムに存在したソ連情報機関による暗号通信の解読結果は、内容も多岐にわたり、記述された情報も貴重なものが多い。解読済み件数は約450件で、KGB、GRU、ソ連海軍GRUの3組織が扱った暗号通信である。第二次大戦では中立を貫いたスウェーデンはソ連にとって、ノルウェー、デンマーク、フィンランドやバルト諸国におけるドイツの軍事活動を監視するのに最適であった。ドイツ侵攻によるノルウェー難民に聞取り調査を実施し、彼らを母国へ送り返すために多国籍作戦が展開されたことも記憶しておかなければならない。

ソ連海軍GRU暗号通信、文書番号682、1942年4月13日ストックホルム発モスクワ宛には興味深い記述がある。それはRaoul Wallenbergの叔父であり、銀行家、外交官で人道主義者のスウェーデン人Jacob Wallenbergに対するドイツの和平工作である。しかし、「VENONA」文書中では、Raoul Wallenberg拉致に関係する解読結果は見当たらない。Raoul Wallenbergは1945年ブタペストでソ連軍防諜部隊SMERSHによって拘束され、その後モスクワでKGBにより処刑されたと伝えられる人物である。ストックホルム発信の内容実例は以下の通り:

KGB
・占領下ノルウェイにおけるドイツ海軍の艦船建造/艤装解除および乗組員や物資乗降の様子を詳細に報告
文書番号3090、1943年11月21日ストックホルム発
・コードネーム「KLARA」という重要なKEGB工作員にして共産主義者のスウェーデン人に対する検討

GRU(海軍GRU含む)
・GRU内における機密無線と暗号通信方式の検討内容
文書番号797、1941年9月6日モスクワ発信
文書番号938/939、1941年10月13日
・GRUによる一次報告 - スウェーデンによる対ソ連海軍通信諜報作戦について
文書番号1564、1941年12月12日発信
・GRUによるフィンランド陸軍戦力分析
文書番号151、1942年1月22日発信
・GRUがノルウェイに派遣した工作員
文書番号656、1942年4月8日発信
・ソ連海軍GRUストックホルム支局による報告 - ライカ社製カメラおよび付属品の入手について(「VENONA」文書からも、機密文書撮影用カメラとフィルムの確保は世界各地のKGB支局にとって諜報工作上の重要事項であったことが読み取れる)
文書番号901、1943年3月19日発信

1944年の暮れ、米陸軍参謀第二部(G-2)付少将であり、アーリントンホールの指揮監督者であるCarter W. Clarkeはアーリントンホールに暗号分析官として在籍していた国防総省Paavo Carlson中尉を呼び出した。Carlson中尉がフィンランド語に堪能であることから、Clarke少将は数日内のストックホルム出立をCarlson中尉に命じた。ストックホルムにおけるCarlson中尉の任務は、フィンランド軍通信諜報部の代表と会見する米軍現地駐在武官の通訳であり、会見終了後には共にスウェーデンに退避することであった。OSS(米軍戦略情報室)ストックホルム支局々長もその会見に出席予定であった。Carlson中尉は、フィンランド人が回転文字盤で構成されるドイツ軍「エニグマ暗号機」を米軍側に提供し、フィンランド軍によるソ連軍事暗号の解読成果(米国外交暗号の解読も含む)も開示してくれたことをよく憶えている。

このCarlson中尉は1942年12月半ばにヴァージニア州LynchburgでGene Grabeelをアーリントンホールの暗号解析部署に採用した人物である。そして6ヵ月後、このCarlson中尉によって採用されたGene Grabeelが「VENONA」計画として有名になるソ連暗号通信解読の端緒を開くことにる。

特別報告
*****
解読結果

六回目の公開は、他の歴史資料との照合でより詳しい内容が明らかになったKGB暗号通信24件が含まれている。米国およびその他で活動したベテランKGB工作員Jack Sobleとその兄Robert Soble博士の工作内容が記述されていることに注目すべきである。そこでは、Jack Sobleの偽装ビジネスに関連した資金の動き(米国-カナダ間)や、KGBの連絡員でありハリウッドの映画プロデューサでもあるStephen Lairdの工作員再起用などについても記されている。高位のKGB工作員PLUMB(本名: Charles Kramer)、RAIDER(本名: Victor Perlo)、FRENK(本名: Laurence Duggan)らによる報告や彼ら自身に対する言及も散見される。また、機密文書がNYのタクシーで紛失され、KGBによって再発見されるという事件があった。これに関連してハンガリーで発生した事案について、長文で複雑な事情を説明した通信内容も興味深い。

先に公開されている解読結果は、文書としてより整った体裁で公開されている(GRU/ソ連海軍GRUストックホルム支局の暗号通信解読結果などを参照)。今回の開示資料は米国内におけるソ連諜報活動に関するもので、第一回目の公開内容(訳注: NSAによる最初の「VENONA」文書公開のこと)と同じカテゴリーに属するものである。NSAによって最初に公開された資料のより正確な分析修正で、シカゴで展開されたKGBによる原子爆弾開発潜入工作(「FLOX」なるコードネームを使用したRose Olsonなど)やのNY、ワシントン、サンフランシスコなどにおける工作の詳細がより明確になるかもしれない。

Meredith Gardnerによる特別報告書

アーリントンホール暗号分析官Meredith Gardnerが1947年から1948年にかけて11件の特別報告書を作成している。1件目の特別報告書は1996年10月の合同「VENONA」会議にて出席者に開示され、本論考にも収録されている。残りの報告書は「VENONA」文書中でも時系列初期で、LIBERAL/ANTENNA(後にJulius Rosenbergと判明)やLEBERALの妻Ethelなどが関わった重要事件の日付特定などに役立つはずである。

Gardnerはこれら11件の特別報告書を暗号通信を渉猟して得た新事実を記録しておくという目的と、そして自分の指揮命令系統や参謀第二部防諜班に対し情報戦略上の危機を知らせる目的で作成した。FBI本部のRobert Lamphereが「VENONA」計画にフルタイムで関わるようになると、Gardnerは暗号通信の本格的な解読に取り掛かるようになり、特別報告書の作成は止まった。

以下に特別報告書11件の概要を記す。中には日付の無いものもあるが、これらの報告書が作成されたのは、1947年8月30日から1948年8月12日の間である。

1. 「VENONA」文書中からGardnerが見つけ出したコードネーム群に対する初期の考察
2. 後にDonald MacleanとStephen Lairdと判明するコードネームGOMER/HOMER、YUNに対する言及
3. KGBキャンベラ支局
4. ENORMOZ(原子力爆弾)諜報工作とそこでLIBERALが担当した工作
5. 「VENONA」文書収録の暗号通信はKGBのものであるという確信
6. LIBERALのスパイ網
7. KOMAR事件(KOMARとはKravchenkoのことであり、彼はワシントンのソ連港場委員会から米国へ亡命し、KGBにより暗殺された人物である)
8. コードネームが変更されている暗号通信
9. コードネームKARAS(Ivan Subasic米国内その他でセルビア-クロアチア問題に関わったKGB工作員)
10. コードネームCHETA(後になってKGB諜報将校のMicholas FisherとMaia Fisherであると判明)
11. ANTENNA/LEBERALの妻、Ehtel

これらの特別報告書の中で目を引くものは、第6回特別報告書(1948年4月28日付)に収録されたLIBERAL/ANTENNA工作に関する多量の解読成果であろう。たとえば、文書番号1053、1944年7月26日KGB/NY支局発モスクワ「センター」宛の第六段落を見てみるとよい。そこではANTENNAが知人のMax Elitcherを工作員に勧誘する様子が記されている。Max ElicherはANTENNAのスパイ網構成員全員と同様に共産主義者である。同じくNY発モスクワ宛1944年5月5日文書番号628第4段落は、Rosenberg事件の全容を追う上でも重要である。この特別報告書が作成された1948年4月時点では、まだLEBERAL/ANTENNA関係24件の暗号通信が解読されていなかった。これら極めて重要な文脈を欠いた状態で、Gardnerは暗号通信のANTENNAに関わる部分を解読翻訳しなければならなかった。これら24件の暗号通信群が解読されたとき(1950年6月27日付再発行の解読成果を参照)初めて、ここの意味内容がRosenbergがKGB工作員に採用した友人のAl Sarantに対するRosenberg自身の記述であったことが分かった。

1948年(大統領選の年)7月に作成回覧された特別報告書で取り上げられた解読結果では、ルーズベルト/トルーマン両大統領の重要なブレーンであったDavid Niles周辺の人物へ贈収賄があったと判断できる記述がある(文書番号786、1944年6月1日NY発モスクワ宛)。これはDavid Niles周辺の贈収賄容疑を匂わす記述の中では最も初期のものである。

他の文書

Gardnerによる特別報告書に関連する重要文書として、アーリントンホールそして後のNSAで暗号分析官が使用した「コードネーム集」がある。この「コードネーム集」には、全てのコードネームについて登場する文書番号、日付、回数、そして改訂時に判明している該当人物の身元や経歴も全て記載されていた。この「コードネーム集」にはKGBのNY/ワシントン/サンフランシスコの各支局がモスクワ本部との交信で使用した符牒や隠語も収録されていた。この「コードネーム集」が最初に発行された日付は明確ではないが、「VENONA」計画初期の1949年から随時更新/改訂され終了の1980年まで使われ続けた。

Meredith Gardner自身の手による他の二件の文書も注目に値する。一つ目は、GOMER/HOMER事件の進捗に関しアーリントンホール独自の視点で書かれた短い報告である。この報告がGOMER/HOMER事件に関する内偵捜査の全てではないことを断っておく。二つ目は、解読計画初期の段階で「VENONA」文書の情報に何者かの侵入があったと思われる複数の日時が短い覚書として残されているものである。この覚書に作成日時は記入されていない。この覚書も歴史資料として貴重なものである。

おわりに

「VENONA」文書公開後に寄せられた一般の質問に答えることで本論考の結びの言葉としたい。

「VENONA」とは、この極秘計画を表す数ある符牒の中で最後に用いられたものである。この計画を表す符牒は「VENONA」以前に「JADE」、「BRIDE」、「DRUG」などがあった。これらの符牒は米国政府と英国政府によって全くの無作為に選定された。単語に特に意味があるわけでも何かの省略であるわけでもない。

アーリントンホール(後のNSA)と連携諸機関との間には、特筆すべき協力関係が存在した。1945年から1946年にかけて、アーリントンホールの暗号分析官Cecil Philipsが英国の通信諜報関係部署に「VENONA」計画の概略を説明した。1947年、「VENONA」計画初期の主席暗号分析官/翻訳者であるMeredith Gardnerが英国の主席暗号分析官に米国の進捗状況を説明した。1947年9月、参謀第二部Carter W. Clarke少将がFBIを「VENONA」計画に引き込み、その年の終わりまでには「VENONA」文書に基づき、FBIがソ連による工作事件の捜査を開始した。そして1952年の後半にCIAが一連の防諜活動に加わった。

参謀第二部Carter W. Clarke少将とFBI捜査官Robert J. Lamphereの英知と地道な努力は言うに及ばず、アーリントンホールのFrank B. RowlettとOliver Kirbyが発揮した高い統率力も「VENONA」計画の成功に寄与したといえる。そしてこれら全体の成功はアーリントンホール一人ひとりの分析官による卓抜した技能と献身、そして果敢な挑戦に支えられたものである。

おわり
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